退職した従業員に対する損害賠償請求-競業避止義務・引き抜きの場面
Contents
1 従業員(労働者)の競業避止義務
従業員(労働者)は、雇用契約(労働契約)の存続中、雇用契約に付随する信義則上の義務として、競業避止義務を負うとされています。就業規則や雇用契約上の特約がない場合であっても当然に認められます。
雇用契約が存続中の競業避止義務の問題として、次の事項に取り組まなければならない場合がしばしば発生します。
① 懲戒解雇等の懲戒処分
② 退職金の不支給・減額
こちらは、別稿で詳しく取り上ることにして、本論に戻りますと、退職した従業員は、終了する雇用契約の付随義務である競業避止義務を引き受けることはないとされています。
退職者に対し、退職後の行為についての損害賠償を請求したり、競業行為の差止請求を求める根拠となる競業避止義務を課すためにどうしたらよいでしょうか。
2 退職者に就業避止義務を負わせるため方策・方法
退職した従業員は、終了した雇用契約の付随義務である競業避止義務を引き受けることはないので、従業員に退職した後にも就業避止義務を負わせるためには、就業規則や雇用契約上の特約による定めが必要となります。
ただ、新たに就業規則による定めを設けるということになれば、定めの制定・改定前から在職している従業員が同意していなかったような場合に、その有効性を認めることができるか[といった問題「就業規則の不利益変更」の問題(労働契約法9条、10条)]を検討する必要もあります。
雇用契約上の特約による定めを、退職しようとしている労働者に求めても応じないことも想定されます。特約は、容易に応じられる時期に締結しておかなければなりません。
また、退職間際に特約が締結できたとしても、紛争になるや、退職者側からは、強迫によって誓約書に署名させられたなどといった主張がされることがあります。
従業員に退職した後にも就業避止義務を負わせるための定めを、就業規則や雇用契約上の特約で確保しようとする場合、法律的知識に加え、現在の実情を把握して法的観点から捉え、慎重且つ細心な配慮をしながら、個別具体的に取り組んでいかなければなりません。
3 雇用契約(労働契約)上の特約、就業規則の有効性の判断
雇用契約上の特約、就業規則の定めについては、それが退職者の職業選択の自由・営業の自由を制限したり、競争制限により独占集中を招いて一般消費者の利益を害するといったことも考えられます。
そのため、雇用契約上の特約、就業規則の定めは、無条件にその効力が認められるわけでないというのが、裁判実務上の取扱いです。予防的な対策を講じる必要がありますが、その対策は訴訟を想定して検討しておかなければならないのです。
訴訟となれば、雇用契約上の特約、就業規則の定めの有効性が慎重に判断されることになります[特約の公序良俗違反性(民法90条)、就業規則の内容の合理性(労働契約法7条)]。
その場合について、裁判例の多数は、特約の効力を、次の事情を考慮して総合判断しています(「フォセコ・ジャパン・リミティッド事件」奈良地方裁判所昭和45年10月23日判決、「ダイオーズサービシーズ事件」東京地方裁判所平成14年8月30日判決)。
① 使用者の正当な利益
② 従業員の在職中の地位や職務内容
③ 競業禁止の期間や地域の範囲
④ 代償措置の有無・内容
しかし、そのとおりではありますが、現実の訴訟では、事案ごとに異なる個別的具体的事情に応じて様々な判断がされます。
訴訟で事実を証明することは簡単ではなく、実際、使用者側が認識している事実をどこまで認めてもらえるのかという不安定な状況がついてまわります。
裁判官の判断構造や判断過程の実際を理解して、専門知識に加え経験・実績に基づいた訴訟技術を活用していくことが不可欠です。
4 雇用契約上の特約も就業規則の規定もない場合に、損害賠償責任を追及することはできないか。
退職後の競業の態様等いかん、競業行為、営業秘密漏えい、従業員引き抜き、顧客奪取などが悪質な手段、態様で行われた場合には、特約や就業規則がなくとも、退職した従業員や他企業に対し、使用者の営業の利益を侵害する不法行為に基づく損害賠償責任が課されることがあります。
(1)この点について、最高裁判所が初めて判断した事件では、金属工作機械部分品の製造等を業とする会社を退職後の競業避止義務に関する特約等の定めなく退職した従業員において、別会社を事業主体として、会社と同種の事業を営み、その取引先から継続的に仕事を受注した行為が、会社に対する不法行為に当たらないとされましたが、不法行為に基づく損害賠償責任を負うことがあり得ることを前提としています([三佳テック事件]最高裁判所平成22年3月25日第一小法廷判決)。
(2)退職後の競業行為の不法行為該当性が問題となった下級審裁判例は、次のように整理できるとのことです。
[不法行為の成立を認めた事例]
① 技術情報や顧客名簿等を利用したことの不当が指摘されているもの
② 取引相手に元使用者に係る虚偽の事実を告げて顧客を奪取したもの
③ 従業員多数の引き抜きを伴ったもの
[不法行為の成立を否定した事例]
① 社内での紛争により従業員が退職して競業に至ったもの
② 退職から半年以上期間が経って競業行為を開始したものや元使用者と競合する取引先との取引をコンペで受注したもの
5 従業員が引き抜きされた場合の対応
従業員が他社に転職したり、他の会社の労働者を勧誘して自分の会社で雇用しようとすることは、職業選択の自由や営業の自由に属する行為であり、基本的には自由にできることです。したがって、引き抜きも、通常の勧誘行為にとどまる限りは適法であって、引き抜きを受けた企業はその打撃を甘受しなければならないことになります。すべきこととなります([ジャクパコーポレーション事件]大阪地方裁判所平成12年9月22日判決)。
しかし、競争相手である企業と従業員が共謀して内密に計画を進め、元の企業の従業員を一斉大量に引き抜くなどといった内容と態様が悪質であるような場合には、雇用契約上の債務不履行責任又は不法行為責任が生じうるとされています。
フレックスジャパン・アドバンテック事件(大阪地方裁判所平成14年9月11日判決)は、人材派遣企業間の派遣スタッフの引き抜きの事案です。
特定労働者派遣事業を営む原告の従業員であった被告A,被告B,被告C及び被告Dが,原告在職中及び退職後にわたって,被告会社と共謀して違法な方法により原告の派遣スタッフを大量に引き抜いたとして,原告が,被告らに対し,雇用契約上の債務不履行又は不法行為に基づき,その引き抜き行為によって受けた損害の賠償を求め、7965万0366円を請求した事案ですが、628万9464円の支払が認められた事例です。[事案の内容]
6 退職者に対する競業避止義務に基づく損害賠償請求に関する取組
退職者に対する競業避止義務に基づく損害賠償請求については、その成否の検討はもちろん、訴えを提起して、経済的に採算が合うかどうかの検討も必要です。
また、使用者が積極的に退職者を訴える行動に出るという場合ばかりではありません。
使用者が、従業員の在職中の競業避止義務違反を理由に退職金を支給しなかったり、減額するなどしたところ、退職者から退職金支払請求を受け(本訴)、訴訟上の対抗策として、退職者に対する競業避止義務に基づく損害賠償請求をするという、戦略的・戦術的な場合もあります。
訴えを提起する場合には、勝たなければなりませんし、訴えを提起された場合には、負けるわけにはいきません。
従業員に退職した後にも就業避止義務を負わせるためには、就業規則や雇用契約上の特約による定めの要否・在り方、ご自身の採算感覚に合うかどうかの緻密な検討が必要です。専門的・実践的なスキルやノウハウを踏まえ、具体的な状況に応じて有利な展開が図れる対応をする必要があります。
7 退職者に対する損害賠償請求では、自滅しないように慎重・細心な検討が必要
私は、依頼者にとって「勝ち負け」は何なのかということにこだわります。実は、この点が決まり切ってはいないのです。経営者のキャラクター・パーソナリティーは様々です。
私は、これまで多種多様な訴訟に取り組み、顧問弁護士としては常時30社を超える企業を直接担当しながら、弁護士歴30年を超える経験と実績を積んできました。この経験と実績に裏付けられた強みを活用し、依頼先企業の実態・実情に加え、企業独自の志向、そして経営者のキャラクター・パーソナリティーまでも踏まえた紛争の予防・解決を実現することに取り組んでいます。
競業避止義務・引き抜きに絡み、退職した従業員に対する損害賠償請求を考えている経営者の方は、ぜひ当事務所までご連絡ください。
前田尚一法律事務所 代表弁護士
北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校・北海道大学法学部卒。
私は、さまざまな訴訟に取り組むとともに、顧問弁護士としては、直接自分自身で常時30社を超える企業を担当しながら、30年を超える弁護士経験と実績を積んできました。
使用者側弁護士として取り組んできた労働・労務・労使問題は、企業法務として注力している主要分野のひとつです。安易・拙速な妥協が災いしてしまった企業の依頼を受け、札幌高等裁判所あるいは北海道労働委員会では埒が明かない事案を、最高裁判所、中央労働委員会まで持ち込み、高裁判決を破棄してもらったり、勝訴的和解を成立させた事例もあります。