裁判実務における退職勧奨の違法性の判断基準
要件が極めて厳しい解雇による紛争を回避すべく、経営者に好まれる方策が、「退職勧奨」です。
しかし、一見便法ですが、使用者側には、やり方いかんによって、不法行為による損害賠償請求が認められることがあり、緻密な対処が必要です。
1 退職勧奨の違法性の判断基準について、東京地裁平成26年2月27日判決【日本アイ・ビー・エム事件】が、次のとおり判示しており、以後の裁判例において用いられていると説明されています。
「退職勧奨は,勧奨対象となった労働者の自発的な退職意思の形成を働きかけるための説得活動であるが,これに応じるか否かは対象とされた労働者の自由な意思に委ねられるべきものである。したがって,使用者は,退職勧奨に際して,当該労働者に対してする説得活動について,そのための手段・方法が社会通念上相当と認められる範囲を逸脱しない限り,使用者による正当な業務行為としてこれを行い得るものと解するのが相当であり,労働者の自発的な退職意思を形成する本来の目的実現のために社会通念上相当と認められる限度を超えて,当該労働者に対して不当な心理的圧力を加えたり,又は,その名誉感情を不当に害するような言辞を用いたりすることによって,その自由な退職意思の形成を妨げるに足りる不当な行為ないし言動をすることは許されず,そのようなことがされた退職勧奨行為は,もはや,その限度を超えた違法なものとして不法行為を構成することとなる。」
また、この事件の控訴審である東京高裁は、平成24年10月31日の判決で、
「労働契約は,一般に,使用者と労働者が,自由な意思で合意解約をすることができるから,基本的に,使用者は,自由に合意解約の申入れをすることができるというべきであるが,労働者も,その申入れに応ずべき義務はないから,自由に合意解約に応じるか否かを決定することができなければならない。
したがって,使用者が労働者に対し,任意退職に応じるよう促し,説得等を行うこと(以下,このような促しや説得等を「退職勧奨」という。)があるとしても,その説得等を受けるか否か,説得等に応じて任意退職するか否かは,労働者の自由な意思に委ねられるものであり,退職勧奨は,その自由な意思形成を阻害するものであってはならない。したがって,退職勧奨の態様が,退職に関する労働者の自由な意思形成を促す行為として許容される限度を逸脱し,労働者の退職についての自由な意思決定を困難にするものであったと認められるような場合には,当該退職勧奨は,労働者の退職に関する自己決定権を侵害するものとして違法性を有し,使用者は,当該退職勧奨を受けた労働者に対し,不法行為に基づく損害賠償義務を負うものというべきである。」と判示しています。
2 日本アイ・ビー・エム事件は、業績評価がボトム15%の者を対象に特別支援プログラム(年収総額の最大15か月分の特別支援金と再就職支援会社の利用)を組み、応募予定者を1300名として行われた希望退職者募集の中で、退職強要に亘らないよう研修を受けた上司による面談で退職勧奨が行われた事案において、結論としては、適法な退職勧奨と認められた事例です。
3 しかし、事案によって事実関係が多種多様で、使用者にとっては、主張する事実を立証し尽くすことがなかなか難しいことが多い労働事件では、日常の場面と裁判所での攻防場面を区別することなく、判例・裁判例が示した一般的・抽象的な判断基準を盲信することは危険極まりないことであることを理解しておかなければなりません。
4 ところで、退職勧奨紛争では、損害賠償請求が争われる事例が多いですが、退職自体の効力が争われることがあります。
器物損壊罪により逮捕され、勾留された上、略式起訴され罰金刑に処せられた臨床検査主任技師の、懲戒免職もあり得ることを示唆して退職勧奨がされたなどの事情の下でされた退職の意思表示の撤回が有効であるとされた事例があります(旭川地裁平成25年9月17日判決)。
また、出退勤の情報につき虚偽の申告等を行っており,それが判明したことを契機になされた退職の意思表示について,有効に懲戒解雇をなし得なかったのに,自主退職しなければ懲戒解雇がなされると誤信して行われた場合,錯誤による無効(新民法では、取消)なものとして,その効力が否定された事例があります(東京地裁平成23年3月30日判決【富士ゼロックス事件】)。
労働者が使用者の退職勧奨によって不本意ながら退職届を提出し、後に退職の意思表示の効力を争うような場合ですが、次のような点が問題となります。
[意思表示に関する障害事由]
① 真意に基づく意思表示といえるか。
② 意思の欠缺・意思表示の瑕疵(民法)
・錯誤(95条)、詐欺・強迫(96条)
前田尚一法律事務所 代表弁護士
北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校・北海道大学法学部卒。
私は、さまざまな訴訟に取り組むとともに、顧問弁護士としては、直接自分自身で常時30社を超える企業を担当しながら、30年を超える弁護士経験と実績を積んできました。
使用者側弁護士として取り組んできた労働・労務・労使問題は、企業法務として注力している主要分野のひとつです。安易・拙速な妥協が災いしてしまった企業の依頼を受け、札幌高等裁判所あるいは北海道労働委員会では埒が明かない事案を、最高裁判所、中央労働委員会まで持ち込み、高裁判決を破棄してもらったり、勝訴的和解を成立させた事例もあります。